シン・ゴジラを見た
ブログ管理人
私は大の映画好きである。生前叔母が「あんたを背負って映画を見ていると、いつも一番いいところで泣き出すので困ったわ」と話すのを聞いて、そうか私の映画好きは2歳の頃からはじまったのだと知った事を思い出す。しかし不思議な事にゴジラ映画はこれがはじめてである。大叔母の家の近所に有った映画館には顔見知りのオジサンが居り何時でもタダで入る事ができ出入り自由であったので、数多く映画は見ることができた。ゴジラの初演は1954年であるので、私は7歳で見ようと思えば見ることができたはずだが見た記憶が無い。その後の数々のゴジラ作品も何故か見ていない。怖かったのかも知れない。物心が付くようになってからはもっぱらテレビにかじり付いていた。うちは喫茶店をやっていたので当時としては早くからお店にテレビが有った。プロレスが始まるとお店は一杯になっていた。私が見ていた番組は洋物が多かったように思う。怪獣物は余り見なかった。ウルトラマンがはじまった頃はすでに大人になっていた。それでも周りにはウルトラマンを見ている同年代も居たが私は見たことが無い。
初めて見るゴジラ映画で大いに期待を持って近所のシネコンへ行った。ウイークデイの昼間とあって入りは良いとは言えないがそれでも30人位はいたであろうか、年代は鑑賞料金が安くなる60歳以上が圧倒的であった。
映画を見終えた感想は、この映画を見て緊急事態条項の必要性、自衛隊の軍備の充実の必要性、強いリーダーシップを持った政治家の必要性を感じるように作ってある映画で、政治的メッセージが強い映画であると感じた。この映画は緊急事態条項が既に機能していることが前提になっており、全ての決定は内閣官房と閣議で決定され国会は一度も出てこないし、野党の存在は1カットも無い。国会前に「ゴジラを守れ!」とシュプレヒコールする群衆の空撮カット(これは昨年の国会前10万人デモの空撮資料が提供されたのでは無いかと疑いを持っている)があり、官邸にある巨大不明生物特設災害対策本部(巨災対)で昼夜休まず働く官僚達の耳にその声が聞こえると言うシーンで、政治家と官僚は必死で対策を考えているのに国民は無責任なデモをしていると言わんばかりで、昨年の安保法制反対デモを揶揄しているようであった。政治家と高級官僚の議論のシーンが多かったが、憲法に照らして考えると言う事は一切無かった。
米国と日本が主従関係に有る事は色濃く描かれていたが、それとて決して否定的では無いように感じられた。ゴジラが東京を襲うと言うような緊急事態には、一人の強いリーダーシップを持った政治家が現れて全ての法律や国際的約束を無力化して独裁的に解決しなければ道が無いと示唆しようとしており、危機にあたっては独裁者が必要と言わんばかりだ。ヒーローの内閣官房副長官が山口県に選挙区を持つ世襲議員であると言うのは一体何のための設定だったのだろうか。エンドロールには内閣官房、各省官房の広報、大量の自衛隊組織名が並らび、政府と東宝の共同制作の自衛隊絶賛政府広報映画に金を払って見てしまった感が拭えない。戦争オタクにはおすすめの映画かもしれない。ストーリーは単純だが、プロットはずさんで突っ込みどころたっぷりで、ほころびだらけのB級映画である。野村萬斎のモーションピクチャーでゴジラの動きを作ったと言うのが興味深かったのと、謎のマキ教授の写真が岡本喜八監督だったのと、蒲田に上陸した早世代のゴジラの顔がカワイいのが良かった。 |