ダンテの森    
10 Nov 2014 08:07:46 pm
壁崩壊から25年
ベルリンの壁崩壊から25年を祝うドイツ市民祭
ブログ管理人

 1989年11月9日に東西を仕切っていた壁が壊された。当時、ブログ管理人はまだシーメンス社に勤めていた。仕事で知り合ったドイツ人の殆どの人には、必ず何人かの身内、親戚、友人、知り合いが分断された東に居た。仕事仲間の中には19歳の時に、まるで映画のストーリーのようにトラックのエンジンルームの下に隠れ場所を作ってそこに入って逃げてきた人も居た。親戚を訪ねて言っている間に壁ができて帰れなくなった伯母さんがいる人もいたし、とにかくまずどのドイツ人でも壁による理不尽な分断の影響を受けていた。

 ドイツ滞在中に何度かドイツと東ドイツの国境を車で超えた事があるが、これは今では考えられないものであった。東ドイツ国境に近付くと検査待ちの車列で長時間待たされる。西ドイツ側の国境は形だけのものでいとも簡単であるが、東ドイツに入るのも厳しかった。西側通貨が入ることを制限していた東ドイツは、特に西側に現金を厳しくチェックしていた。後は、東に持って行けば高く売れる品物の満ち込みをチェックする。国境では全員車を降ろされ、パスポートと入国書類を全部取り上げられて、車単位で別室で待たされる。部屋のドアは外からしか開かず、監禁された状態になる。書類審査と車両検査が行われる。車は特に隅々まで、隠して持ち込もうとしていないか、帰国時に人を隠す場所が作られていないかなど、座席を取り外し車の下は反射鏡で調べる。検査は小一時間で終わるのであるが、なにかを理由にこのまま収監されることになるのでは無かろうかなどと余計な事を考えてしまい不安になる為、大変に長く感じられる。出国は入国の倍は掛かる。その間、東ドイツのナンバープレートを付けた黒塗りのベンツが検問所をさーっと通過してゆく、これは東ドイツの高官か高官の家族が西ドイツに買い物に行く車である。

 ある時仲間と車で東ドイツとチェコスロバキアに遊びに行った。東ドイツは統制が厳しいが、チェコスロバキアでは闇の両替屋が西の金を正規の交換レートの4〜5倍で買っていた。彼らは、西からの観光客と見ると向こうから巧みに近付いてきて交渉が始まる。それの為に西の紙幣をそれぞれ下着にポケットを作って入れたり、靴下の中に入れたりして持ち込んだ。その時は、検問所で顔色を読まれるのではないかと余計にどきどきしたものである。しかし、一度入国してしまえば豪遊ができた。

 ブログ管理人が最後にベルリンを訪れたのはまだ壁が健在の頃で、壁が無くなってからのベルリンは初めてである。昨日は、ブランデンブルグ門からポツダム広場は車の通行が禁止され、昼間から人でごった返していた。昔壁があったとされる場所に、白いスタンドに白い風船が付けられた、高さ3mほどのインスタレーションが何千と飾られていた。これが壁の存在を思い出させる趣向である。一つ一つの風船には小さなカードが縛り付けてあり、七夕の短冊のように、そこに個人的な思いが書かれている。一つ一つの風船のインストールメントには、提供者が居る。かなりの金額を寄付することで、風船の提供者になることができたと言う。何万という人が集まり、ロックコンサートが開かれていた。余りの人の多さに、駅のプラットフォームが一杯になり駅からの出場が規制されている時にブログ管理人はブランデンブルグ門駅に着いた。余りの人の多さに、恐怖感を覚え空っぽになった電車に戻りホテルに帰ってTVで中継を見ることにした。これでは、市民祭りに参加したとは言えないかも知れないが、その日に同じ空間に居た事でブログ管理人は満足する事にした。

 一つの国が2つに分断される事ほど理不尽なことはない。お隣の北朝鮮と韓国では、60年も分断が続いたままになっている。世代が変わり、南北の間に縁者が居る人の数は減る一方となり、南北統一を望む人の数も自ずと減ってゆくのでは無いだろうか。それとも、民族として統一への意思は消えるものではないものであろうか。第二次大戦までの50年近くの間朝鮮半島を支配していた日本は、国際的には植民地の宗主国である。欧州の宗主国は、独立してとっくに一人前になった国であっても、その国で何か問題が起きると一番に行って面倒を見る。ケニアでエボラ熱が出ると英国が飛んで行き、リビアには米国が飛んでゆくのである。南北朝鮮を一つに戻すことを日本政府が考えた事は聞いた事が無い。先日、この事を友人と話していたら日本は敗戦したので、宗主国では無いのだと言う。宗主国とはそんなものだろうか。

 ドイツは、戦後欧州の国々に贖罪外交を貫いてきて現在の欧州における地位を築いてきた。何もそこまで謝らなくてもと思うほど、過去に犯した国家としての謝罪を続けてきた。その結果、現在のドイツ人には責任は無いと周囲の国の国民が思うようになった。それに対し、日本は間違っていたのは、過去の軍事政権であり、戦後の日本は東南アジアの国々に対しこんなに経済援助をしてきたと開けかす。これでは、本心から日本を好きになる東南アジアの国の国民は出てこない。昔、フィリピンで日本人の事をバナーナと呼んでいた事を知った。表から見ると黄色人種だが、中身は自分たちを支配しようとうする白人と変わらないと言うさげずみの意味でそう呼んでいたのだ。

 25年前に、壁が壊されたと言うニュースを聞いた会社のドイツ人が涙を流して喜ぶ姿を見て、自分も思わず意味もなく涙を流したことが思い出されたベルリンの夜であった。
カテゴリー : ブログ管理人 | Posted By : dantesforest |
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