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17 May 2015 09:43:54 pm |
温暖化で消滅する国 |
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迫る海、村を捨てた 島国キリバス(Republic of Kiribati)
朝日新聞デジタル 2015年5月17日05:00
南太平洋の島国キリバス。アバヤン島沿岸のテブンギナコ村は200人以上が内陸部へ引っ越した。10年ほど前、大潮の際に海水が胸の高さに来るようになり、今では頭より高くなる。元村人のアアタ・マロイエタさん(68 )が住む海から100メートルほど内陸の村でも最近、道が海水につかった。「でも逃げ場がない。島は真っ平らだから」
キリバスの首都タラワ。沿岸部のビゲニコーラ集落に大量の海水が押し寄せたのは、3月のことだった。
「強風が吹き、夜中に床上まで海水が入ってきた。朝に水が引くまで皆で神に祈った。6歳の孫娘が『沈むのはいや。逃げる船をつくって』と頼むんだ。ここを離れる日が近づいていると実感した」。集落長のエリア・マエレレさん(65)は暗い表情で振り返った。
バヌアツなどを襲った大型サイクロン「パム」が、強い熱帯低気圧が来ない赤道地帯とされてきたキリバスもかすめたのだ。
集落では、10年ほど前から大潮のときに海水が入り始め、今ではひざ下まで浸水するようになっていた。「パムで海水が胸の高さに達したのは最終宣告なのか。気候変動はここでは現実だ。先進国は実態を知り、支援してほしい」。マエレレさんは訴えた。
33の環礁からなるキリバスはサンゴが堆積(たいせき)してできており、平均標高はわずか2メートルほど。気候変動による海面上昇の影響を受けやすく、「温暖化で最初に沈む国」の一つとされる。
政府は昨年、フィジーに約20平方キロの土地を買った。アノテ・トン大統領は「海面上昇や塩害で耕作地がなくなった場合の食料確保のためだが、最悪の場合は移住の場にと考えたこともある」と明かす。
パプアニューギニアの山間部にも温暖化の影響
温暖化の影響は島国の山間部でも指摘されている。パプアニューギニア(PNG)の山岳地帯にあるゲレミヤカ村。標高1600メートルを超える畑で、タイガーマン・テネンゲさん(34)は山肌にはりつくようにして草刈りをしていた。
年間を通して主食のサツマイモを栽培し、半月前には100キロ近く入る袋で13袋も収穫した。熱帯にありながら朝晩は肌寒いが、「この何年かは暖かくなったせいか3カ月に1度、収穫できる」と顔をほころばせた。
今は農民を喜ばせる「暖かい気候」への変化に、実は警鐘が鳴らされている。
アジア開発銀行(ADB)の2013年版「太平洋地域の気候変動経済」は、「最悪のシナリオでは50年までにPNGのサツマイモ収穫量は50%減る」との見方を報告した。
ADBのエコノミスト、シンヤン・パーク博士は「長期的な温暖化の影響には干ばつなど降雨量の変化や作物の病気の流行も含まれる。さらに気温が上がれば、主食を失うことにもなりかねない」と指摘する。(アバヤン島・ゲレミヤカ村=郷富佐子)
朝日新聞Digital URL:
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11758230.html?_requesturl=articles%2FDA3S11758230.html&iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11758230
YahooニュースURL:
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150517-00000004-asahi-int |
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04 May 2015 08:27:33 pm |
エネルギー転換取材記事 |
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Listning:<論説委員が行くドイツのエネルギー大転換
国民の意思、政策に反映=青野由利
毎日新聞オピニオン 2015/03/24
福島の原発事故をきっかけに脱原発を早め「エネルギーベンデ(大転換)」を加速するドイツ。過酷事故を経験したにもかかわらず原発維持にこだわり続ける日本。同じ先進工業国でありながら、何が違うのか。先月、日本記者クラブの欧州エネルギー取材団に参加し、ベルリンを訪ねた。
「個人的には原発はクリーンなエネルギーとして優れていると思います。でも、ドイツではそういう意見を言う段階は過ぎました。どこが政権を取っても脱原発は変わりません」。国内最大の電力会社「エーオン」のベルリン代表部でエネルギー政策担当ペーター・ホーハウスさんが淡々と語った。
これまで原発や火力発電を中心に、燃料の開発から電力の小売りまでを網羅する総合エネルギー会社だった。それが昨年11月末、「原発や火力部門を切り離し、本体は再生可能エネルギー、地域の配電、顧客のコンサルティングに集中する」と発表し、衝撃を与えた。世界で6万人の従業員のうち本体に残るのは4万人。決断の背景にはエネルギー転換に伴う従来型エネルギーの業績悪化があるが、その流れは昨日今日始まったわけではない。
「ドイツは長年、原発を推進してきましたが、1986年のチェルノブイリ原発事故をきっかけに国民の考えが大きく変わったのです」。経済エネルギー省を訪ねると、自らも脱原発を主張してきたライナー・バーケ次官が歴史を語ってくれた。国民の意見が国政選挙に反映され社会民主党と緑の党の連立政権が発足、2000年に脱原発を決めた。「再生エネ法」が制定され、「固定価格買い取り制度(FIT)」も導入された。
2010年、中道保守のメルケル政権が原発延命を決定したものの、法施行からわずか12週間後に福島の原発事故が起き、脱原発の期限は22年に戻された。「再生エネを推進し、原発から脱却する方針を掲げなければ、この国で選挙に勝つことはできないとわかったのです」。バーケ次官の言葉は確信に満ちている。
エネルギー転換によりドイツは14年間で再生エネの電源に占める割合を26%まで成長させた。欧州委員会が電力自由化・発送電分離を促したこともそれを後押しした。「国内の4大電力会社が送電ビジネスから撤退したことは重要でした」。東部で七つの州を担当する送電会社「50ヘルツ」の本社で広報担当のオリビエ・ファイクスさんがその効用を強調した。以前は電力会社が情報を一手に握り、送電も都合よく決めることができた。送電網の所有権分離によって透明性が確保され、そうはいかなくなったという。
今や、50ヘルツの担当地域では再生エネが電力の42%を占めるまでになった。2.2%(水力を除く)で「もう入れられない」と言っている日本とは大違いだが、変動型電源を大量に入れつつ、系統の安定性を保つために重要な役割を果たしているのが気象予測だ。
「私たちは世界でも最も高い予測能力を持っている。予測値と現実の値にほとんど差がありません」。ファイクスさんは胸を張る。ただ、時には綱渡りもある。一昨年4月には3日間、電力不足が生じ、汗だくになって欧州市場で電気を買い集めた。「予測と現実のずれをもたらしたのは薄い霧でした。気象予報士の予報があたらなかったのです」。こうした経験からノウハウを蓄積し、生かしていく必要がある。
送電網の拡充も重要課題で、政府は国の南北をつなぐ高圧送電線「送電アウトバーン」の建設を計画している。風力発電が集中する北部から南の産業地帯に送電するためだが、地元には反対運動がある。一筋縄では行きそうにないが、これがないと北の安い風力を南で使えず、南の高い電力を使わなくてはならない。もちろん、送電網の拡充にはコストがかかり、再生エネの調整電源の維持にも費用がかかる。「でも、将来はどうでしょう。風力や太陽光は燃料費がゼロなのでトータルでみた電気料金は安くなるはずです」。ファイクスさんは予測する。
電気料金の抑制については政府も手を打っている。昨年、再生エネ法を改正し市場での競争原理を導入することにしたのもそのひとつで、「電気料金は10年ほどで制御できるようになる」(バーケ次官)と見る。
脱原発に伴い、以前にもまして注目されているのが放射性廃棄物処分の問題だ。ドイツでは1977年、連邦政府が北部のゴアレーベンを高レベル放射性廃棄物の最終処分場候補地として選定したが、選定手続きへの疑問などから、一昨年、白紙に戻された。新たに「高レベル放射性廃棄物処分に関する委員会」を設置し、ゼロから選定をやり直す作業を続けている。
委員長で元環境省政務次官のウルズラ・ハイネン・エッサーさんによると委員会の課題は三つ。市民参加の手続きを決めること、立地選定手続きの検証、処分場の基準・決定手続きを決めることだ。「中でも難しいのが市民参加です。誰もが嫌がる施設を受け入れてもらうには非常に早い段階から参加が必要ですが、これまでそうした規定がなく、未踏の地なのです」
経済的優遇措置による解決を良しとしないのも特徴だ。むしろ、最適の場所を見つける基準を作った上で、手続きを透明にし、市民参加のもとで選定を進めることに重きを置く。「そうすれば、選定されるだけの理由があると、受け入れてもらえるのではないでしょうか」。加えて、脱原発によって放射性廃棄物の上限が定まったことも、合意形成にプラスに働くとみる。
このほか、日本の経団連に当たる産業連盟やシンクタンクでも話を聞いたが、「脱原発」「再生エネ推進」という点で合意は揺らがないと感じた。議論があるのはエネルギー転換の具体的方法で、当然そこにはさまざまな課題がある。ただ、そうしたドイツの挑戦を横目で見て弱点をあげつらったり、日本の条件の悪さを言い訳にしているうちに、彼らは経験を積み、先に進むだろう。結局のところ両者の違いは、国民の意思を政策に反映する力があるかどうかではないだろうか。
原文URL: http://mainichi.jp/journalism/listening/news/20150324org00m040004000c.html
但し、ドイツのエネルギー転換政策の力点はあくまでも省エネにあり、再生可能エネルギーは補助であることを付け加えておきたい。(ブログ管理人) |
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15 Apr 2015 05:19:23 pm |
増えた建築物のCO2 |
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温室効果ガス削減:数値明記せず 自民緊急提言
毎日新聞 2015年04月15日 東京朝刊
自民党の環境・温暖化対策調査会(山本公一会長)は14日、エネルギー効率の4割改善を目指すことなどを盛り込んだ2030年までの日本の温室効果ガス削減目標に関する緊急提言をまとめた。焦点だった排出量の削減目標値は、6日の会合で示した原案から「2005年比30%以上削減」という文言を削除。「欧米と遜色のない、国際的にも評価される高い目標」というあいまいな表現にとどまった。週内にも官邸や関係閣僚に提出する。
日本は50年までに80%削減する長期目標を掲げている。調査会はこの道筋に沿うように30年までに2005年比30%以上削減する提言を目指した。しかし、政府・与党内からより低い「2013年比20%前後減」案が浮上。非公開の協議を重ねたが、具体的な数字を盛り込むことを断念した。
これまで欧州連合(EU)は2030年までに1990年比40%以上、米国は2025年までに2005年比26〜28%減らす目標案を国連に提出している。【阿部周一】
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以上は今日の毎日新聞の記事であるが、宮沢洋一経済産業相は4月10日の閣議後記者会見で、日本の温室効果ガスの排出削減目標について「6月初めの主要国首脳会議(サミット)で、安倍晋三首相がそれなりの発言ができる環境は整える」と述べ、6月上旬までに策定する方針を表明している。(各紙)削減目標の前提となる2030年の電源構成をめぐる議論を加速させ、排出削減目標に関する政府内の調整を急ぐ考えだ。それに先駆けて昨日になって自民党内から、数値目標は掲げない方針へ転換しようと言う声が上がった。後は安倍首相の得意の大嘘でサミットを乗り切る肚なのだろうが、嘘を重ねて行くと国際社会から信用され無くなり孤立をすることになる。
ところで環境省が4月14日に発表した「2013 年度(平成 25 年度)の温室効果ガス排出量(確報値)について」によると2013年度の温室効果ガス排出量はCO2換算で14億800万トンでリーマンショック直前の2007年に次いで多かった。
詳細は次のURL参照: http://www.env.go.jp/press/files/jp/26800.pdf
この資料にあるように2005年以降、産業、運輸、サービス、エネルギー等全ての産業部門でCO2排出量が減少している中で、で著しく増えているのは、オフィイスビル、ホテル、商業施設などの業務部門で16.7%増加している。また家庭部門も11.9%増加している。その理由として、新築の建築物が増えた事が上げられているが、新しく建てられた建築物が全く低エネルギー構造になっておらず、低エネルギー化改築も進んでいない事が読み取れる。
また人口増加が止まり生産人口の減少に伴い減少しつつある産業の実態を示している産業部門のエネルギー消費の削減にも関わらず、景気回復策の成長戦略により建設が続いている状況が読み取れる。また、建築物の低エネルギー化など本格的な決め手となる省エネには、手が付けられていない現状がこの数値から読み取れる。やはり安倍政権は、エネルギー消費こそ経済成長であるとの既得権益からの呪縛に陥っている。 |
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13 Apr 2015 03:29:15 pm |
東京特派員の告白 |
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5年間の東京から報告をした外国特派員のドイツの読者への告白
カールステン・ゲルミス(Carsten Germis)
吉村皓一訳
歌に有るように「私の旅立ちの荷物はできた」。ドイツの日刊紙フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥングの特派員としての東京での5年間を後に帰国する。
この国は私が着任した2010年とは違う国になってしまった。表面的には何の変化も見られないが、社会環境に――特にこの12カ月の間に私の仕事にも影響を与えるようになってきた――変化が見られるようになってきている。
日本のエリート達の認識と海外メディアによる報告のギャップが大きくなってきており、私はジャーナリストが仕事をするうえで問題が生じるのではないかとの危惧を抱いている。もちろん日本は民主主義国で言論の自由が有り、海外特派員の貧しい日本語力をもってしても情報に接する事は可能である。しかし、このギャップは安倍晋三首相の政権になってから明らかに――歴史の塗り替えの権利の主張へとシフトしたように感じる。それが問題となったのは、日本の新しいエリート達が、特に海外メディアがそれに対する批判的な見方と向き合わなければならなくなったからである。
日経新聞は同紙のベルリン特派員発として、本年2月のアンゲラ・メルケル首相の日本訪問のカラム記事を掲載した。これによるとメルケルの日本訪問は友好的と言うより批判的と言えるものであったとしている。日本の原子力専門家に対して彼女はドイツの脱原発政策を説明した。彼女は訪問先の朝日新聞社と、安倍首相との会見において戦争の歴史について論究した。彼女は最大野党である民主党の岡田代表とも会談をした………友好的であったのは、彼女がドイツ企業を訪ねた時とロボットのアシモに握手をしようとした時だけであったと言うものであった。
この国は私が着任した2010年とは違う国になってしまった。
それは厳しいようであった。しかし、その前提を受け入れるとしても、それでは一体「友好的である」とは何であろうか?友好的であると言う事は何でも同意すると言うことなのだろうか?もし、友人が行おうとしている事が将来その友人を害する事であると信ずるに足る時に、その事を指摘するのが本当の友情と言えるものではないだろうか?もちろんメルケルの訪日は、それよりも更に複雑な理由があったのであろうが。
ここで私の日本に対する立場を明確にしておく。5年の滞在期間を経た後、私が抱いていたこの国に対する親愛の度は変わっていない。それどころか、知り合えた多くの素晴らしい人々によって、私のこの国への感情は以前よりも強くなった。私の日本の友人達とドイツの読者からは、特に311以降の私の記事からは日本に対する愛情が一層強くなった事を感じると評されている。
しかし、残念ながら東京の外務省の官僚はそれとは全く異なった見方を持っており、一部の日本のメディアもそれに同調している。彼らにとっては、私を含めほとんどのドイツ人特派員は「日本バッシング」をやっていると見られているようである。日経のベルリン特派員は、日独二国間の非友好性の責任は我々、外国人特派員に有るとまで指摘している。
関係の変化
フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥングは政治的には保守であり、経済的にはリベラルで市場主義と言える。それでも、安倍の歴史修正主義に批判的であることは確かである。ドイツでは自由民主主義が、いかなる形であっても戦争責任の回避をしようとすることなど、想像すらできないからである。もしもドイツにおいて日本の人気が低下したとしても、それはメディアの報道によるものではなくドイツ人が持つ歴史修正主義に対する嫌悪感から来るものである。
私の日本の経験は全く異なる事から始まった。2010年、民主党政権ができ、私は民主党の鳩山、菅、野田の全ての政権を担当したが、彼らは私たちに彼らの政策を理解させようと努力をしていた、彼らは常に「我々はもっと働いてもっと良い政治をしなければならないことを知っている」と語っていた。
当時外国人特派員は、幾度となく副首相であった岡田克也から招かれ意見交換会を行った。首相官邸では毎週定例で外国人記者クラブとの会見が開かれ、官僚たちとはかなりオープンに現状の問題について議論をした。我々は、政府の姿勢を遠慮なく批判したが、官僚は辛抱強く説明に務めた。
それは2012年12月の選挙で全てが変わった。新首相はフェイスブックなどのソーシャルメディアを使い、国民により開かれたように見せかけているが、例えば麻生副総理兼財務大臣は、我々の質問している巨額な政府債務に関することに対しては、一度たりとも話そうともせず、実際には以前のようなオープンな態度は無くなっている。
実際、海外特派員としてはいくつもの重要な質問、エネルギー政策、アベノミクスのリスク、憲法改正問題、若年層の失業問題、過疎地域の人口減少など聞きたいことが山ほどある。しかし、政府の代表が我々と会見をしたい等と言う気はさらさら無いらしい。そして、この政権を批判するものは首相から「日本バッシャー」と呼ばれることになる。
この政権を批判するものは首相から「日本バッシャー」と呼ばれることになる。
5年前と比べて新しいものと言えば、外務省による攻撃である。それは、記者個人に対する直接的なものだけに留まらず、ドイツ本社の編集局のデスクにまで及んだ。私が書いた安倍政権の歴史修正主義批判の記事が掲載された直後に、本社の政治局デスクのもとに在フランクフルト総領事が、東京からの反論を携えて訪ねて行った。それには、中国がこの記事を反日プロパガンダの材料に使っているとの抗議が書かれていた。
状況はさらに悪化した。90分間にも及ぶ議論の末、編集デスクは総領事に対し、この記事の何が間違っているのかを指摘してほしいと述べると、総領事は「そこまで言われると、これはもうお金が動いているとしか考えられない。」と、私とデスクと新聞社そのものを侮辱しはじめた。そして、書類挟みから私の記事の切り抜きを出しながら、多分中国ビザをもらう為には中国の反日プロパガンダに協力せざるを得なかったのだろう。私はその事に対し同情の念を禁じ得ないとまで言ったのである。
私が北京からお金をもらっているって?私はまだ中国には行ったことが無いし、ビザの申請もしていないのに、である。もしこれが日本政府の目指すものを得る為にやっている行為であるとしたら、彼らがそれ得ることはかなり難しいことになることを知るべきである。もちろん、この総領事の、我々が親中国的であるとの指摘はデスクの怒りをかうこととなり、デスクは私にとって却って強い味方となりその後の記事はどんどん掲載されることになり、私の筆致はさらに鋭くなった。
話は2012年にさかのぼるが、当時まだ民主党政権時代に私は韓国に飛び元従軍慰安婦にインタビューをし、竹島を訪れた。これは当然韓国政府のPRの一環である事は承知の上であったが、当時議論の真っただ中の問題をこの目で見ることができるまたとないその機会を逃す手は無かったからである。私はその直後外務省から昼食の招待を受け、竹島は日本固有の国土であるとの十数ページの資料の説明を受けた。
2014年に事態は変化し、外務省は表立って批判的記事を攻撃し始めた。
2013年12月に安倍政権が誕生して間もなく、私が書いた元従軍慰安婦のインタビュー記事が出た直後、私はまた外務省の昼食に招待された。そして従軍慰安婦関連の情報と、首相のこの問題に対する考え方を噛んで含めるように説明を受けた。
しかし、2014年に事態は変化し、外務省は表立って批判的記事を攻撃し始めた。私の書いた安倍首相の中国に対する国家主義的態度を批判した記事が出た後、私は再度外務省から呼び出しを受け、私が引用した統計数字の間違いを指摘された。
私の旅立ちのメッセージ
あの総領事とデスクの会見に先立つこと2週間、私は外務省から昼食に呼ばれていた。この昼食会では、私の書いた記事の中で使われた「歴史に漆喰を塗る」と言う言葉と「安倍の国家主義的傾向は日本を東アジア以外でも孤立させる。」と言う表現に対する攻撃が行われた。その態度は、説明と同意を求めると言うものでは無く、怒りを含んでいた。私が、なぜドイツのメディアは歴史修正主義に対して敏感であるのかと言う説明には耳を貸すことは無かった。
私の仲間の外国人特派員に対しても外務省からの昼食の誘いが増えて行った。そして、海外紙への第二次世界大戦に関する日本政府の意見広告の予算が大幅に増えた。そして、海外紙の本社デスクを日本に招待(当然のことながらビジネスクラスで)する事が増えてきている。しかし、私は外務省の担当者にこの企画は慎重に行われるべき事を警告して置く。なぜなら彼ら海外紙のデスクたちは、政治的PRによって自分たちを操ろうとする意図に対しては、おうおうにして逆の反応をしがちであるからである。私が中国政府から金を受け取ったとの発言を、新聞社は正式に抗議した。それに対する彼らの回答は「それは誤解であった」と言うのみであった。
私の旅立ちのメッセージである。私の一部の仲間とは違い、私は日本には自由報道に対する脅威はまだ存在していないと見ている。民主党時代に比べて政府批判報道は少なくなったが、まだ存在はしている。ひょっとすると増えているのかも知れない。
日本の政治エリートと無能な高級官僚には強い仲間意識があり、海外メディアと議論するリスクを冒そうとしないが、そんなことで報道の自由は奪う事はできない。そこには情報源となり得る数々の他のソースが存在する。しかし、この政府は民主主義においては、政治は国民と国際社会に対して説明責任が有る事ということが理解できていない。
自民党の報道部には英語を話せるものがおらず、英語の情報を得る事もできないと記者仲間から聞いたが、それは私にとって今や冗談では終わらない。現首相は歴代首相の中で最も海外出張回数が多いと誇っているようであるが、彼がすぐ近くにある外国人記者クラブを訪れて我々と議論をしようとした事は一度も無い。実際の所、この政府は海外メディアに対して秘密主義であるだけでは無く、自らの国民に対しても同じではないかと疑っている。
自民党の報道部には英語を話せるものがいないことは、いまや冗談では終わらない。
過去5年間、私は日本列島を北海道から九州まで歩いたが、東京以外で私が書こうとすることに圧力をかけられたと言う経験はない。反対に、興味深いストーリーが提供され、どこでも人々と楽しみを分かち合うことができた。日本は今でも、世界でも最も裕福で開かれており、海外特派員にとってはこの上なく住みやすく取材しやすい国である。
私は、海外のジャーナリスト、そしてもっと重要なことであるが日本の市民が今後も自らの考えを話し続ける事が可能であることを望む。私は抑制と無知から調和が生まれるとは思わない。私が5年間祖国としたこの国が、真に開かれ健康な民主主義がその目標である事を望む。
◆カールステン・ゲルミス(Carsten Germis)は2010年から2015年までドイツの日刊紙フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥングの東京特派員であった。日本外人記者クラブ(FCCJ)理事。
2015年4月掲載
原文(英文)URL: http://www.fccj.or.jp/number-1-shimbun/item/576-on-my-watch.html |
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11 Apr 2015 12:25:25 am |
日本のCO2削減目標は最低 |
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2020年以降の政府の温室効果ガス削減目標案、90年比では11.5%減にとどまる。EUの4分の1
Finance GreenWatch 2015/04/09
2015年4月9日、政府が2030年までの温室効果ガス(GHG)排出量の目標を、2013年比で20%前後削減で調整している、との報道があった。これまでの90年比でみると、約11.5%減で、欧州連合(EU)の90年比40%減に比べて4分の1程度と見劣りする。
政府は現在、原発再稼働を促進する経済産業省とGHG削減を推進する環境省の間で、2020年以降のGHG削減目標を調整している。すでに米欧などの主要先進国は、今年12月にパリで開く国連気候変動枠組条約第21回締約国会議(COP21)に向けて、今年第一四半期までに削減目標を打ち出しているが、日本は目標を定められない状態が続いている。
政府内の調整の焦点は、GHG(CO2)排出量削減の有力な発電手法として、原発再稼働の上昇を目指す経産省と、再生可能エネルギー発電に力を入れる環境省との間での交渉となっている。報道された2013年比20%前後削減の場合、削減手法として再エネ比率を現状の10%(水力含む)前後から23%〜25%前後を見込み、原発比率は2割台とする方向という。
削減基準とする2013年の我が国のGHG排出量は、13億9500万トン(速報値)で、京都議定書の際の目標90年の排出量に比べると10.6%増と一割もかさ上げされている。「13年比20%減」を90年比でみると、11.5%減にとどまる。しかし、それでも再エネ発電の普及に反対する経産省は難色を示しているという。先進国としての国際的な責務を考慮せず、国内の電力会社の事情にのみ配慮したGHG削減目標の設定では国際的に恥をかくだけだ。
原文URL: http://financegreenwatch.org/jp/?p=50974 |
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