ダンテの森    
02 Jul 2014   02:15:39 pm
ブログ管理人の寝言2
集団的自衛権容認解釈の閣議決定に思う
ブログ管理人

 環境問題に専念するはずの当ブログであるが、環境破壊の最たるものは戦争であるので、その戦争への可能性を開かれるとすれば、これは大いに環境に関係があると言うことで「寝言」を許してもらいたい。

 以前中南米のコスタリカへ行ったことがある。ワールドカップ決勝トーナメントでギリシャを下しベスト8に残っているあの中南米の小国である。コスタリカ人の友人を訪ねて妻と二人で出かけた。自然がいっぱいの緑の多い、と言うか熱帯雨林の中の国と言う感じであった。首都サンホセの空港は、日本のローカル空港よりも質素な空港であった。日本の13%ほどの国土に460万人が暮らし、その一人当たりのGNPは100万円強で、決して豊かとは言えない。しかし、国民は人なつっこく底抜けに明るい。ぼくたちはホテルに泊まりたかったが、友人の強い申し入れで彼の家に泊めてもらった。決して広くないお宅の、お嬢さんの部屋に泊めてもらったが、全て質素な暮らしであったが、おばあちゃんも奥さんも気さくで、言葉は通じなかったが心は十分通じた。

 コスタリカは、1948年に軍備を放棄している。その頃中南米では、どの国も政情不安や国境問題を抱えていたのであるが、コスタリカは、一方的に軍隊の保持を止めて、それまでの国防予算を全て、教育に振り向けた。コスタリカでは9年間の義務教育は一切無償である。その為に中南米ではトップクラスの96%の識字率を誇っている。

 コスタリカと国境を接するニカラグアとは常に国境問題を抱えており、国境線は警察が守っている。友人に、ニカラグア軍が本格的に侵攻して来たらどうするのかと聞いたら、国際世論に訴えて侵攻を阻止する事ができるし、憲法には国家的危機の際には軍隊を編成する事は排除されておらずその場合徴兵もできるので我々は戦うとの返事が返ってきたが、常備軍が無いのに危機が起きてから軍を作ると言うのはまず無理だろう、国連や米州機構に頼る他ないと言うのが現実のようである。そんな不安定な中にあっても軍備を放棄し、その予算を教育に使う英断をしているのだ。

 コスタリカは米州機構の一員であるが、軍隊は持っていない。経済的には米国に依存するところが大きい。米国資本のチキータバナナの生産地として、国の熱帯雨林が次々とバナナ農園と化して行き、生物多様性の観点から環境学者達は警鐘を鳴らした。それに応える形で、コスタリカ政府は1996年にバナナ農園を熱帯雨林に戻す政策を断行している。(2013年1月7日の当ブログ参照)その結果15年間で10%の国土が熱帯雨林に戻っている。これによる米国資本が被った損害は計り知れない。

 米国の傘の下に入りながら、堂々と自国の主権は主張しているこの国のしたたかさを日本は大いに学ぶべきである。経済力が無い小国は、大国の言うがままになるより存続する方法が無いと言うのであれば、世界はいずれいくつかの大国に全て吸収されてしまうのだろうか、そんな事は決して起きない。ましてや、衰退したとは言え世界第三位の経済力を持つ日本が、軍備を持たなければ他国と対等に付き合って行く事ができない訳が無い。戦える普通の国にならなければ、他国と対等に付き合えないと言うのはどう考えてもウソである。これまで、日本が憲法に書かれているからと言う理由で、国連軍に軍隊を派遣しなかったからと言って、日本批判の国連決議が出された事は一度も無い。第二次大戦の枢軸国の一員として戦争責任を感じ、軍備を放棄し経済で国連を援助すると言う形で世界平和に貢献する姿を国際社会は理解していたと思う。本当の理由は別の所にあるように思えてならない。

 コスタリカのような小国ですら、軍備を放棄しても存続が今後も許される国際社会を目指すのが、平和憲法を持った日本の義務であると思う。世界に誇れる平和憲法を最も大切にすると思われていた連立与党の公明党が、集団的自衛権容認に回ったことは誠に遺憾なことである。裏切られた気持ちでいっぱいである。
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29 Jun 2014   04:26:28 pm
報道されない歴史
歴史に残る5日間にわたる第一回国連環境総会が閉会した。
ブログ管理人

 歴史的と言うべき第一回国連環境総会(United Nations Environment Assembly, UNEA)がケニアの首都ナイロビで6月23〜27日の5日間開催された。これには世界、163の国連加盟国から113人の閣僚級参加者をはじめ1065人の参加者が40の専門別会議に参加した。

 ワールドカップ・サッカーの陰に隠れ殆どのメディアでは取り上げられる事も無く27日に閉会した。日本の環境省からは八津龍太郎環境事務次官がトップで参加している。

 これまで、国連には国連環境計画(UNEP)が環境問題の専門部会として約35の理事国を中心に活動が行われてきた。事務局長のアッヒム・シュタイナー氏の提唱により、2012年6月リオデジャネイロでの国連環境開発会議(RIO+20)決定を受けて、国連加盟国194の内163ヶ国の参加を得て、史上初めて国連総会規模の環境総会の開催をすることができた。

 今回の環境総会では、2015年以降の持続可能な消費と生産を含む、持続可能な開発目標(SDGs)について議論された。現在国際社会は経済危機と環境の危機を同時に迎えている。しかし、これまで良く言われているようにこの二つは決して相反するものではない。経済と環境の両方は互いに深く関連している事を理解して、正しく対策を講じることでこの両方が同時に解決できるものであるとしている。

 現在2013年に設立されたオープン作業グループ(OWG)では約30人のメンバーがSDGsを製作中で2014年9月に2015年以降のSDGsの議題が発表されるが、2012年のRio+20で合意されているように、持続可能な消費と生産(SCP)の次の10年間の枠組みが発表されることになる。これまでの京都議定書などと異なるのは、国連加盟国は全てこの持続可能な開発目標の達成義務が有ると言うことである。

 これは、いまだかつて無かった事で世界の全ての国連加盟国が持続可能な開発目標を定めてそれに取り組むことで、地球環境の悪化を少しでも緩和して、地球の持つ回復力を高めて、次世代に少しでもましな環境を残そうとするものである。これを行う事なしには我々の孫の世代が、少なくとも現在なみの生活を営む事は不可能となる。

 それにしても世のマスコミが、この歴史的な国連環境総会を無視しているのが何とも不気味である。

UNEA URL(英文): http://www.unep.org/unea/en/
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24 Jun 2014   10:49:18 am
ブログ管理人の寝言
 ここのところ起きている石原環境相の金目発言、都議会自民党の鈴木議員の「早く結婚しろ」発言に対するネット上での盛り上がりや、マスコミでの大騒ぎ、富岡製糸場の世界遺産決定に対するマスコミの騒ぎように、僕は何か居所の悪さを感じている。

 もちろん、石原環境相の発言や鈴木都議の発言は環境大臣として都議会議員としての品性がまるで感じられない発言で、擁護する気持ちなど毛頭ない。又、富岡製糸場の世界遺産決定もそれなりに良い事なのだろうと思う。しかし、昨今のマスコミの扱い方は尋常ではないように思えてならない。それも、どのメディアも一様に同じ調子で騒いでいる事がどうも気になる。ネット上もツイッターでも似たような感じであるのが、更に気になる。

 福島県の居住不可能地域に低濃度放射性廃棄物の処分場を作ると言う問題で、地元と交渉していた環境省との間で、全く補償金や補助金の問題が話されていなかったと言う事は無かったであろう事は容易に想像が付く。被災者は弱い立場なのだから、その人たちに対して「最後は金目でしょう」と言った石原氏の言葉は品性に欠け、配慮に欠けると言えるが、それではそこには全く金の問題は無かったのか。誠意を持って大臣が地方公共団体にお願いさえしていれば、無償で提供と言うこともあり得たのだろうか。マスコミは、ただ単に石原大臣の発言を責め立てるだけではなく、その背後の問題を浮き彫りにする報道姿勢と言うものを持つべきであると思う。

 日本の議会や委員会でのヤジの応酬は何も初めての事ではない。普段の議会中継でも耳を覆いたくなるような、品位に欠けるヤジは当たり前のことである。良し悪しは別にして、議会にヤジはつきものと言える。日本が議会の手本としている英国議会でもヤジはつきもので、かつて労働党のトニー・バンクスがマーガレット・サッチャー首相に対して、「セックスに飢えた大蛇」だとヤジった事があった程である。今回ヤジられた女性都議も「そうなんです。私も結婚したいのでこの質問をしているのです。」と切り返す位のユーモアを持ち合わせて居る位なら将来嘱望される大政治家になれるのにと思う。ヤジにひるんでいるようでは議員先生は務まらないのでは無いだろうか。その事には触れず、マスコミはまるで鈴木議員が日本中の全女性に対して性差別発言をしたとばかりに騒ぎ立てる。

 富岡製糸場の場合も、当時の女工が悪条件のもとで働かされた暗い面には触れる事無く諸手を上げて大歓迎する。まるで、テレビの公開放送で舞台の袖に立っているアシスタント・ディレクターが「ハイ、ここで笑って」「ハイ、ここで拍手」と腕を振り回して合図をして聴衆はその通りにする。それが、そのまま毎日のニュースの手法に取り入れられているように思う。何か事件が起きるとマスコミはまず、自分たちの立ち位置を決める。それは、現場では無くデスクのさらに上層部である。その決定の要因には、政治的にはどうか、スポンサーとの関係はどうか、視聴率はどうか、などを基準に決められる。その上で報道姿勢が決められ現場に落とされる。現場ではそれに沿ってストーリーが組み立てられ、それに沿ったビジュアルが下請け、更に孫請け会社の手で集められる。路上のインタビューなどは、いくつか取ってストーリーに合ったものだけをいくつかつなぐと、まるでそれが一般の人はそう思っていると思える画像になる。

 ものごとには、必ず幾つもの側面(Aspects)がある。それを、あたかも一つしか無いように見せかける報道が増えて来ているのでは無いか。考え方は、百人百様である。それを、日本人ならこう考えるべきであると言うような風潮が出てきているのではないか。そして、日本の人たちが皆同じ方向を向く事に慣らされて来ている気がする。そしてその間に国会審議も経ることなく、最重要な問題が法の解釈を変えると言う方法で決められて行く。

 これを読んでブログ管理人が、石原大臣や鈴木都議を擁護しているように思えた読者は、もう一度良く読み直しをして戴きたい。
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17 Jun 2014   11:45:58 pm
F5出版記念会2
ファクター5出版記念会での来賓挨拶。
ブログ管理人

 ファクター5出版記念会には、参議院議員を3期18年間務め、その間環境副大臣を歴任した、京都大学大学院の加藤修一教授もお祝いに駆けつけてくれた。

 その祝辞のなかで、加藤教授は次のように語った。


 「ファクター5」は低炭素社会、循環型社会、自然共生社会、即ちグリーン経済社会による持続可能な発展の長期戦略の必要性が、第1点目のテーマであったと思う。つぎに、第二点目は、GNPと幸福指標の関係性の視点、また人類の幸福の中身と「足るを知る」との関係づけであったと思う。最後の三点目は、非常に重たいテーマであるが、人間像の転換、確立が重要ではないか、これは私は常日頃感じておる事でありますが、これを訴えていると思う。以上の三点を提唱・リードする有益な書籍であると思う。
 
 ローマクラブの最初の書「成長の限界」が出されて既に数十年が経つのにかかわらず、人類はそんな書が出されたことが無きが如き爆走を続けている。環境リバウンドと地球環境負荷の増大をフットプリントで評価すると、アメリカ並みの資源消費を伴う生活水準では地球は5個必要で、足るを知らない文明と言える。

 著名な数学者岡潔は、「狂った猿」と呼び、「人類」では無く「獣類」であるとしている。私が学生時代に勉強した高名な脳科学者である時実利彦は「人間にたぎる殺し屋の血潮」と人間の奥底の一部を形作る人間像を提示しているが、「ファクター5第11章」で展開されているホッブスのリバイアサン等は非常に重要なテーマである。マーシャルは経済学の学徒たるもの「冷静な頭脳、温かい心と平衡感覚」を持てと言い、トインビーは、「生への選択」(対峙するテーマは、「死への選択」)と言い、さらに「自己変容」の重大さを語っており、ガルブレイスは、「人類の偉大な思いやり」と、compassionを語っているが、これは「同苦」の事である。このようにこれらは、大変に重いテーマであるが、地球環境が追い詰められた現在の状況は、これを考えざるを得ない状況になってきていると言うことであると思う。佐藤優氏が最近の書物で語っている、「人間主義」が最高のものという指摘につながるべきものと思う。

 本書で紹介されているトランジション・タウン(変身する町)では、資源・エネルギー効率が5倍(ファクター5)を大幅に上回っている。地産地消、地域通貨など、従来の経済システムから脱皮したパラダイム転換を示唆している。この本は、いずれにしても啓発の書、希望の書、期待の書と言えよう。

 本日冒頭に話があった普及版、要約版等の出版を期待するものである。

 最後に、この書を翻訳した訳者の方々、出版をした出版社にお礼を申し上げて挨拶としたい。(要約)



アマゾンへのリンク
http://www.amazon.co.jp/BC/dp/4750339903/
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16 Jun 2014   12:21:43 pm
F5出版記念会
6月14日にファクター5の出版記念会を開催しました
ブログ管理人

 ブログ管理人とその仲間が翻訳して去る3月25日に明石書店より出版された「ファクター5」の出版記念会が、主催:明石書店、共催:一般社団法人 環境未来研究会として開催された。

 この会の主賓で「ファクター5」の監修者である名古屋大学環境学研究科、持続的共発展教育研究センター長・教授の林良嗣教授は本書の発刊の意義について次のように語った。

 日本語版ファクター5は、原書の英語では無くそれに原著者自らが手を加えた改訂版と言えるドイツ語版から訳されている。今回翻訳にあたった訳者は、ドイツ企業やドイツの経済団体などで長年勤務した経験から、ドイツや欧州での生活経験も有り、欧州の文化や歴史を深く理解した人たちで、素晴らしい翻訳ができた。実は、ここまでの成果は期待していなかった。又、各所に書かれた訳者注釈は専門家も舌を巻くほどのもので、翻訳家の努力が見て取れた。

 原著者のエルンスト・ウルリッヒ・フォン・ワイツゼッカーは、統一ドイツ初代大統領のリヒアルトの兄で高名な物理学者カール・フリードリッヒを父に持つ学者の血筋の家柄の出身である。彼は、生態学から始めたが、現在の彼は「地球エコシステム政治経済学」と言うこれまで無かった学問領域に達している。もともと理系であった彼が、エコロジーに進み、政治の世界も経験し、環境税と言う考え方を提案するに至った。

 彼が最初に出版した本は「生物化学兵器と平和」で続いて出したのが「技術と情報の進化」と言うもので初めから全地球的規模、全人類的テーマを取り扱っており、20世紀後半の戦後から経済復興により生じたエネルギー大量消費経済による環境破壊に警鐘を鳴らし、次の世代に地球環境をどのように引き継ぐかの具体策を示した。

 本書「ファクター5」にはエフィシェンシー(Efficiency、効率)からサフィシエンシー(Sufficiency、満足度)への移行を訴えるものであるが、このサフィシエンシーの元になっているドイツ語ゲヌークザムカイト(Genügsamkeit)を本書では「足るを知る」と訳している。恐らく、この方が本来のドイツ語の意味にぴったりくると訳者は思ったのであろうが、この「足るを知る」と言う言葉が使われたことで、我々日本人の環境に対する役割が俄かに見えてきて、本書が出版された意義が明確になってくる。

 最後にワイツゼッカーの友人であるハンス=ペーター・デュル博士について一言述べたい。デュル博士はアインシュタイン、ハイゼンベルグの流れを継ぐ核物理学者であるが、哲学者としても高名で、宇宙と生命の根底には共通したものが流れていると言う考え方で、ものごとを考えれば自ずと環境問題は解決すると言う思想を提唱していたが、2週間前にこの世を去った。ご冥福を祈るものである。ドイツに現れたこの二人の巨人と接する事ができた私たちに与えられた使命は大きいと感じる。これを持って「ファクター5」出版記念会へのお祝いの言葉としたい。(要約)


 
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